人生を他人任せにしない論理的結末
論理的結末とは
子供が実際に行動を起こす前に、関係する家族との間に話し合いをもち、GOサインが出たら、子ども自身に責任を引き受けてもらう子育て法
マンガでよくわかるアドラー流子育て(宮本秀明[著] 岩井俊憲[監修])より引用
「〜できなかったら、〜だからね」のような子供との合意です。
アドラー式子育てでは、小さい子には、論理的結末の手引きを実施する優先順位は低いとされています。なぜなら、一歩間違うと罰になってしまうからです。(小さい子は罰と感じてしまう傾向があるため)
娘には使用していませんが、お兄ちゃんには、ちょこちょこ試しています。人生を他人任せにしないことを教えるのには有効なためです。
そして、論理的結末を実行する上で、最も重要なポイントは
子供が罰と感じないこと
これがなかなか難しいんです。なんだか、罰っぽくなってしまうんです。
論理的結末が罰にならない4つのポイント
罰にならない4つのポイントがあります。
関連性がある Related
尊重している Respectful
合理的である Reasonable
役に立つ Helpful
Positive Discipline (Jane Nelsen)より翻訳して引用
それでは、罰となってしまった例と、最近、成功した例を紹介します。
罰となってしまった例
過去の失敗例としてはお約束。
「約束守らなかったから〇〇だからね」というもの。
お約束と〇〇には、関連性や妥当性がないことの方が多かったです。なので、お約束を破ったら、罰を与えることになり、恐怖で子供をコントロールしようといていることになってしまいます。
たまにはいいかもしれませんが、多様していると、子供との関係性が悪くなるリスクを伴います。
人生を他人任せにせず、自分で責任を取ってもらう(成功例)
さて、今回、成功した論理的結末は
「(朝の)8時までに連絡帳の用意ができなかったら、自分でお友達のところへ持っていってね」
という論理的結末です。
その日は、息子は定期検診で病院に外来するため学校を休みます。なので、連絡帳をお友達のところへ持っていく必要がありましまた。(小学校を休む場合、電話ではなく、友達に依頼して連絡帳を先生に渡す必要があります)
病気で学校を休む場合は、親が連絡帳をお友達のところへ持っていきます。病気なので、息子は持っていけませんので。
その日は定期検診のためお休み。息子は元気です。ただ、8時までに用意してもらえれば、あることのついでに、私が連絡帳を持っていくことができました。
しかしながら、お兄ちゃん。8時までに連絡帳の用意ができませんでした。
「もう8時になったから自分で持って行ってね」
論理的結末として、お兄ちゃんは、自分でお友達の家に連絡帳を持って行くことになりました。
お兄ちゃん。違和感なく、論理的結末を受け入れたようでした。罰とは感じていなかったようです。
4つのポイントを振り返ります。
8時までに用意ができなかったら、私のついでがなくなります。つまり、関連性があります。
8時までに用意してもいいし、用意しなくてテレビを楽しんでもいい。息子の自己決定を尊重しています。でも、間に合わなかったら私のついでがなくなるから自分で行ってもらう。お互いの立場や状況を相互尊重している形になっています。
自分で連絡帳を持っていくことは妥当です。息子の連絡帳ですから。病気で学校を休むわけではないので、息子が自分で持っていくのは合理的です。
役にも立っています。普段の病欠の場合、親が持って行きますが、自分で持っていくことで、親は助かります。
今回は、小さなことかもしれませんが、自分のことを他人任せにぜす、自分で責任を取った形となりました。まあ、そもそも、最初から自分で持っていってもらうべきくらいの内容ですね。息子の連絡帳なので。
この積み重ねが、自分の人生を他人任せにしない、自立を育んでいくと期待しています。